女性酪農家で経営者のお話 vol.1「私の酪農経営の始まり」

元気な女性生産者をインタビューするという企画を頂いた時、真っ先に思い浮かんだのが、帯広畜産大学の後輩でもあるマドリン(砂子田 円佳さん)。彼女の活躍は多方面から聞いていましたが、じっくりと二人で話をする機会はありませんでした。男性社会の農業の中で一人で酪農を始めた女性って、どれだけ強いのだろうと想像しますが、彼女の素晴らしさはそのしなやかさと溢れるほどの愛にあります。その源がどこから来るのか、フミコが探ってきました!

フミコ:広尾町の酪農家で、経営者でもある株式会社マドリンの砂子田 円佳(すなこだ まどか)さんのところにお邪魔しました。よろしくお願いします。

マドリン:よろしくお願いします。

フミコ:マドリンと呼びますね。

マドリン:はい(笑)

フミコ:今日はマドリンが女性酪農家として、女性経営者としてどんな道のりを歩んできたのか、お話を聞かせてもらえたらなと思ってます。


▼ 目次

・女性が一人で牧場を始めることの大変さとは?

・辛いときに助けてくれたのは、若い女性たちでした。

・現代風の酪農の経営スタイルとは…


女性が一人で牧場を始めることの大変さとは?

フミコ:まず、私が気になったのは、酪農家さんで女性経営者って、とても珍しいと思うのね。始まりは、どういう感じだったの?

マドリン: 私が牧場を始めたのは2007年の24歳のときで、当時は両親に手助けしてもらいながら始めたんです。

フミコ:そんなに若いときに始めたんだね!

マドリン:若さと勢いもあったんですけどね(笑)
最初は、ちょっと古めな牛舎を一年契約で借りて始めたんですけど、一年経つと、その牛舎のオーナーのおじさんがうちの親に「まどかちゃん(マドリン)は、いつまでいるんだ」とか、すごく言ってて。

でも、そのおじさんのご機嫌を斜めにしたら私は酪農ができなくなるので、おじさんといっぱい話すようにしてたんですね。

フミコ: うんうん。

マドリン: それから4〜5年くらい経ってからは、本当の娘みたいに可愛がってくれて、大雪が降ったときは除雪を手伝ってくれたり、私が困っていたら助けてくれるようになったんですよね。

フミコ: オーナーとの関係づくりも大切だし、酪農を一人でやるのも手が回らなかったりするから、とっても大変だよね。

マドリン:そうなんです。
それに、絶対にやらないといけないこともあるじゃないですか。
雪が降ってるけど、搾乳して出荷は絶対しないといけないし、仔牛にミルクもやらなきゃいけないし。
で、そういうときに限って分娩があったり、具合悪い牛がいたりって連鎖するんですよね。

フミコ:確かにそういう状況だと、いろんなものが連鎖してくるよね。
精神的にも辛かったでしょ…。

マドリン:パニックになりましたね。
でも、お父さんに弱音を吐いたら「じゃあ、やめろ」とか言われそうで。
お母さんは私の性格をわかってくれているから、私が弱音を吐いても「まぁ、そういう時もあるよね」と言ってくれたんです。
そういう意味では、親にはすごく迷惑をかけたし、心配をかけたなと思ってます。

フミコ:そうなんだ。

マドリン:けど、こうしてマドリンがあるのも、お父さんが牧場をやるためのルートを作ってくれたおかげで。 本当にいいチャンスをもらったなと思います。

フミコ:そうだね。
ご両親は、新規就農で始めたの?

マドリン:そうですね。
お父さんの実家も酪農家なんですけど、次男なので新規就農で始めました。

フミコ:そうなんだ。けど、お父さん、すごいよね。
「牧場をやってみないか?」って娘に言うんだから。

マドリン:たぶん、牧場をもつ楽しさや充実感を知ってるからだと思います。
それを私にも感じてほしかったと言ってましたね。

フミコ:素敵なお父さんだね。

マドリン:けど、「やめろ、やめろ」言ってましたけどね(笑)

二人:爆笑

辛いときに助けてくれたのは、若い女性たちでした。

フミコ:家族以外の周りの人たちは、マドリンに対してどうだったの?

マドリン:牧場を始めた当時は24歳だし、カナダ留学から帰ってきたばかりだったから、近所の人から「こんな奴に…」みたいなことをすごく言われましたね。
それを真に受けて、しゅん…としたし、毎日辛くて泣いてましたね。

フミコ:うんうん。

マドリン:でも、牛の作業は嫌じゃなかったんです。
この牛たちは、自分がいないと生きていけないし、牛舎にいる時は苦でもなかった。
ただ、地域の集まりとかに行っても、誰が敵か味方かわからないぐらい周りの人を疑って見ちゃって。
人も、人が集まる場所も大好きだったのに、なんか怖くなっちゃって、しばらくほとんど外に出なくなりました。

フミコ:そんなに辛かったんだね。

マドリン:でも、そんなときに近所の年の近い奥さん方が励ましてくれたり、私が遅くまで作業をしてたら差し入れしてくれたり、「よく頑張ってるね」と応援してくれたりして、そういう人がいたからここまで続けてこれたって感じます。

現代風の酪農の経営スタイルとは…

フミコ:そういう経験をしてきたんだね。
そして、今は旦那さんと出会って、二人で酪農をしてるんだ。

マドリン:そうですね。

フミコ:普通は旦那さんが経営者になることが多いでしょ?
仮に、自分の実家が酪農家で、そこにお婿さんが来たとしても、お婿さんが経営をやるみたいなパターンが多いなって私は思っているんだけど。マドリンのところは、どういう感じ?

マドリン:私は、一人で8年ぐらいやっていたということもあるし、旦那さんは、私が経営者をやっていることにこだわりがそんなになくて、「共同経営者」みたいに一緒にやればいいじゃんという感じですね。

フミコ:そうなんだ。

マドリン:あと、お互いの得意分野というか、担当を決めて任せるようにしてます。 旦那さんは数字が得意じゃないみたいで、私もそんなに得意ではないけど、これまでの経験があるから。

フミコ:そっか、そっか。そういう形もありだよね。

マドリン: それに、今の私たちの関係って、私がカナダへ留学してたときにお世話になったご夫婦と同じなんですよね。

フミコ:もらった資料にも、カナダへ留学したって書いてあったね。
そのご夫婦も女性が経営者だったの?

マドリン:そうなんです。 もともとカナダも女性経営者の牧場がいっぱいあったわけじゃないんですけど、私が研修に行ったときに受け入れてくれたところが、女性だったんですよね。

フミコ:そうなんだ。

マドリン:そこのご夫婦は、ご主人が畑の管理や牛のエサを作ることとかを任されてて、女性がマネジメント(牧場全体を回す経営者)だったんです。二人の様子を見ていると、女性も言いたいことや思っていることをしっかりと持ってて、それを支える旦那さんという感じで、すごく素敵だったんですよね。 それがいつの間にか、私たちもそういう夫婦になっていたんです。

フミコ:そうなんだ。マドリンにとって、とても影響を受けた人なんだね。

マドリン:でも、それだけじゃないんです。
その女性を私は「ボス」って呼んでるんですが、実は…

(次回) 「カナダで出会ったボスの存在」


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第2弾は4月8日(水)に公開予定です。お楽しみに!

【インタビュア】
㈱いただきますカンパニー代表取締役
井田 芙美子(フミコ)


1980年札幌生まれ。羊飼いの修業と観光案内所勤務を経て日本初の畑ガイドに/起業後半年で離婚、事業と母業を両立させる為に株式会社化してシニアや主婦をガイド養成し年間2000名に十勝の農場を案内/農業と観光の連携、女性とシニアの活躍等で講演、受賞多数/2019春から帯広·札幌2拠点活動

㈱いただきますカンパニー

【ゲスト】
酪農家「株式会社マドリン」代表
砂子田 円佳さん(まどか)


広尾町出身。実家は酪農を営み、高校の頃から酪農家を目指し、「帯広畜産大学」の後継者向け学科に進学。20歳の頃、カナダ・ケベック州の牧場に住み込みで研修をしたことで、そこで理想の酪農の姿を見出し、帰国後実家を手伝った後2007年に独立。「株式会社マドリン」を設立し30頭の牛を飼い酪農経営に乗り出す。すべての作業を一人で担っていたが、2015年他の牧場で働いていた男性と出会い結婚。現在は二人三脚で牛と向き合う日々を送っている。